フロリアン・ミトレアさん(第4位、室内楽賞)インタビュー

2015.12.22|出場者・審査委員インタビュー

ミトレアさんは、1989年ルーマニアに生まれ、ジョルジュ・エネスク音楽高校、英国王立音楽院などで学び、現在はイモラ音楽アカデミーで学びながら、ロンドンを拠点に活動しています。3次で演奏したモーツァルトのピアノ四重奏で、審査委員満場一致の室内楽賞を受賞しました。
各ステージ、演奏後のコメントで、必ず"ものすごく緊張した!"と語っていたミトレアさん。結果発表も終わり、ようやく一安心したところでお話を伺いました。祖国の音楽教育への想いなども語ってくれました。


─コンクールのステージが終わって、ようやく眠れましたか?

はい! 昨夜はよく眠りました。ファイナルの前の二晩、全然寝ていませんでしたから。これまでのコンクールでの経験から、協奏曲で苦労することは目に見えていました。
浜松コンクールのようなレベルの高さでは1次や2次で落とされる可能性は充分にあったし、2次で弾くリストのピアノソナタや現代作品をたくさん練習していたので、協奏曲は早い時期から準備をしていなかったんです。実際に弾かなくてはいけなくなってから、毎晩、夜じゅう悩まされていた感じ! それで眠れなかったんです。


─結果については、満足ですか?

はい。他のファイナリストには、演奏する協奏曲を何年も前からレパートリーにしている方もいて、みんな確信に溢れているようでしたからね。僕は、聴衆のみなさんをがっかりさせることなく最後まで弾ききることができて良かったです。6位ではなく4位にしてくださったのは光栄ですし、運が良かったと思っています。


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─でも、室内楽賞は満場一致ということでしたよ。

これは本当に嬉しかったですね。コンクール中、間違いなく一番楽しい時間でした。しかも、モーツァルトの作品で受賞できたことが嬉しいです。


─3次では時間オーバーのベルが鳴りましたが、ミトレアさんが気付かずにプロコフィエフを終楽章まで弾いてくれたのは、一聴衆としては良かったです。セットの転換などがあったので、実質、演奏時間がオーバーしたのは5分程度でしたよね。いずれにしても、無事通過できてよかったです。

そうですね。ベルのような音がしたと感じたのですが、時間オーバーの場合は声がかかると思っていたし、携帯かなにかの音かもしれないと確信が持てなくて。......というのも、もしも演奏を止めてあれが携帯の音だったら、ちょっと僕、バカみたいでしょう(笑)。
事前に時間をはかったときに70分を越えることはほとんどなかったので、まさかと思いました。とはいえ、ピアノ四重奏はテンポの違いから本番で演奏時間が変わることもあり得るし、もう少し考えておけばよかったなと思っています。


─ソロはすごく緊張するとおしゃっていることですし、ご自分の室内楽のグループを作って活動することなどは考えていませんか? 90歳でベルリン・フィルにデビューされたメナヘム・プレスラーさんみたいに......。

ボザール・トリオは本当にすばらしい、伝説的なグループだと思います。彼らは特別ですよね。
僕は室内楽がとても好きだし、学生時代からたくさんの作品を勉強しました。ピアノ四重奏は、ブラームスやモーツァルトの全曲、シューマンなど、いろいろ演奏経験があります。ヴァイオリンとのデュオ作品も弾いています。室内楽とソロのバランスとして、ちょっと室内楽が多すぎたかもしれないと思うくらい。
いずれにしても、グループを組んで長くやっていこうと思うメンバーに出会わないといけません。見事につながることができる共演者を見つけるのは、簡単ではありません。実際、合わない人と演奏する室内楽のステージは、悪夢ですからね。僕の室内楽の思い出には、最高のものもありますが、最悪のものもあります(笑)。


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─それにしても、いつも緊張して大変だったいう様子がもはや辛そうに見えることもあったくらいですが、それでもピアニストとしてステージに立ち続けようと思えるのはなぜなのでしょうか。

そうなんですよ、僕もいつもそれを疑問に思っているんですけれどね(笑)! 
実際、音楽家の道に進むかどうか、とても考えました。僕の両親は音楽とは関係のない仕事をしていますから、子供の頃ピアノを習わせたときも、僕がそれを人生の仕事に選ぶとは思っていなかったでしょう。プロになるということがどういうことかもわかっていなかったと思います。ちなみに、母は数学と物理の先生で、父はエンジニアとして働いたあと今は刑事をやっています。とにかくまったく音楽に関係ないんです。
そういう意味では、自分で本当にやりたい気持ちがあったから音楽の道に進んだといえます。大きな夢でしたから、この夢が続いていること自体に価値があるとも感じます。僕の音楽のために、家族に犠牲を強いたこともあると思うので、やめられない気持ちもあります。
でも確かに疲れ果ててしまう瞬間もあるんです。そんなときは、もうこれでピアニストはやめてしまおうか、ピアノは自由な時間に弾くことにして他の時間は別の仕事をすればいいという気持ちになることもあります。


─......えっ! でもピアニストを続けてくれるんでしょう?

そうそう、そうなのですが、ときどきそんな考えが浮かんでくるということです。
浜松コンクールの最中も、いろいろなことを考えました。例えば1次予選は気持ちよく弾けましたし、むしろうまくいかなかったとしても気にしないのですが、2次になったとたん、もしもこのステージで良い演奏ができなければ、1次で落とされた誰かが僕よりも優れた演奏をできたかもしれないのにという気持ちになるんです。ファイナルの協奏曲のときも同じ気持ちでした。セミファイナリストで僕より協奏曲を良く弾ける人はたくさんいたはずで、僕はそのチャンスを奪ったんだと。それが大きな責任感とプレッシャーになるんです。それで、眠れなくなっちゃう(笑)。


─やさしいですねぇ......。自分が次に進めたらラッキーだとただ喜ぶ人も多いでしょうに。

いえいえ。こういうコンクールに参加しているピアニストたちは、みんなそれぞれのやっていることがいかに大変かをわかっていると思いますよ。例え優勝者だって、次に通らないことがどれだけ苦い気持ちをもたらすことか、よくわかっているはずです。
僕たちは表面上は競い合っていますが、お互い気持ちのわかる者同士、同じボートに乗っているようなものだと思います。コンクールというのは大変な経験ですから、うまくいかなかった仲間のことはいつも考えていないといけません。


─ところで、1989年ルーマニアで生まれでいらっしゃいますが、革命があった年ですよね。

そうなんです。僕は、チャウシェスク政権崩壊の2ヵ月前に生まれています。


─子供の頃、音楽教育の面に混乱はありませんでした?

それは問題ありませんでした。むしろ幸運な境遇にありましたね。当時、ルーマニアではソ連時代からの遺産として、音楽学校は国から支援を受けていました。両親は、僕の子供時代の音楽教育のために一銭も払っていません。そのうえ、幸い僕はすばらしい先生に巡り合うことができました。
僕は今イギリスに住んでいて、子供たちに音楽を教えていますが、公立のリーズナブルなものでも親御さんは良い値段を払っていると思います。もしも僕の子供時代の環境が今のイギリスのようだったら、果たして音楽教育を受けられただろうかと思いますね。現在ルーマニアは決して豊かな国ではありませんが、音楽教育への支援はなんとか続いてほしいと思っています。


─将来的に、ピアニストとして祖国で教育活動をすることも考えていますか?

実はもうやっているんです。毎年、ルーマニアの自分の出身校で、ワークショップやマスタークラスを行っています。そうして祖国に何かを返すことができたらと思っています。

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文・高坂はる香
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2015.12.22
フロリアン・ミトレアさん(第4位、室内楽賞)インタビュー

ミトレアさんは、1989年ルーマニアに生まれ、ジョルジュ・エネスク音楽高校、英国王立音楽院などで学び、現在はイモラ音楽アカデミーで学びながら、ロンドンを拠点に活動しています。3次で演奏したモーツァルトのピアノ四重奏で、審査委員満場一致の室内楽賞を受賞しました。
各ステージ、演奏後のコメントで、必ず"ものすごく緊張した!"と語っていたミトレアさん。結果発表も終わり、ようやく一安心したところでお話を伺いました。祖国の音楽教育への想いなども語ってくれました。


─コンクールのステージが終わって、ようやく眠れましたか?

はい! 昨夜はよく眠りました。ファイナルの前の二晩、全然寝ていませんでしたから。これまでのコンクールでの経験から、協奏曲で苦労することは目に見えていました。
浜松コンクールのようなレベルの高さでは1次や2次で落とされる可能性は充分にあったし、2次で弾くリストのピアノソナタや現代作品をたくさん練習していたので、協奏曲は早い時期から準備をしていなかったんです。実際に弾かなくてはいけなくなってから、毎晩、夜じゅう悩まされていた感じ! それで眠れなかったんです。


─結果については、満足ですか?

はい。他のファイナリストには、演奏する協奏曲を何年も前からレパートリーにしている方もいて、みんな確信に溢れているようでしたからね。僕は、聴衆のみなさんをがっかりさせることなく最後まで弾ききることができて良かったです。6位ではなく4位にしてくださったのは光栄ですし、運が良かったと思っています。


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─でも、室内楽賞は満場一致ということでしたよ。

これは本当に嬉しかったですね。コンクール中、間違いなく一番楽しい時間でした。しかも、モーツァルトの作品で受賞できたことが嬉しいです。


─3次では時間オーバーのベルが鳴りましたが、ミトレアさんが気付かずにプロコフィエフを終楽章まで弾いてくれたのは、一聴衆としては良かったです。セットの転換などがあったので、実質、演奏時間がオーバーしたのは5分程度でしたよね。いずれにしても、無事通過できてよかったです。

そうですね。ベルのような音がしたと感じたのですが、時間オーバーの場合は声がかかると思っていたし、携帯かなにかの音かもしれないと確信が持てなくて。......というのも、もしも演奏を止めてあれが携帯の音だったら、ちょっと僕、バカみたいでしょう(笑)。
事前に時間をはかったときに70分を越えることはほとんどなかったので、まさかと思いました。とはいえ、ピアノ四重奏はテンポの違いから本番で演奏時間が変わることもあり得るし、もう少し考えておけばよかったなと思っています。


─ソロはすごく緊張するとおしゃっていることですし、ご自分の室内楽のグループを作って活動することなどは考えていませんか? 90歳でベルリン・フィルにデビューされたメナヘム・プレスラーさんみたいに......。

ボザール・トリオは本当にすばらしい、伝説的なグループだと思います。彼らは特別ですよね。
僕は室内楽がとても好きだし、学生時代からたくさんの作品を勉強しました。ピアノ四重奏は、ブラームスやモーツァルトの全曲、シューマンなど、いろいろ演奏経験があります。ヴァイオリンとのデュオ作品も弾いています。室内楽とソロのバランスとして、ちょっと室内楽が多すぎたかもしれないと思うくらい。
いずれにしても、グループを組んで長くやっていこうと思うメンバーに出会わないといけません。見事につながることができる共演者を見つけるのは、簡単ではありません。実際、合わない人と演奏する室内楽のステージは、悪夢ですからね。僕の室内楽の思い出には、最高のものもありますが、最悪のものもあります(笑)。


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─それにしても、いつも緊張して大変だったいう様子がもはや辛そうに見えることもあったくらいですが、それでもピアニストとしてステージに立ち続けようと思えるのはなぜなのでしょうか。

そうなんですよ、僕もいつもそれを疑問に思っているんですけれどね(笑)! 
実際、音楽家の道に進むかどうか、とても考えました。僕の両親は音楽とは関係のない仕事をしていますから、子供の頃ピアノを習わせたときも、僕がそれを人生の仕事に選ぶとは思っていなかったでしょう。プロになるということがどういうことかもわかっていなかったと思います。ちなみに、母は数学と物理の先生で、父はエンジニアとして働いたあと今は刑事をやっています。とにかくまったく音楽に関係ないんです。
そういう意味では、自分で本当にやりたい気持ちがあったから音楽の道に進んだといえます。大きな夢でしたから、この夢が続いていること自体に価値があるとも感じます。僕の音楽のために、家族に犠牲を強いたこともあると思うので、やめられない気持ちもあります。
でも確かに疲れ果ててしまう瞬間もあるんです。そんなときは、もうこれでピアニストはやめてしまおうか、ピアノは自由な時間に弾くことにして他の時間は別の仕事をすればいいという気持ちになることもあります。


─......えっ! でもピアニストを続けてくれるんでしょう?

そうそう、そうなのですが、ときどきそんな考えが浮かんでくるということです。
浜松コンクールの最中も、いろいろなことを考えました。例えば1次予選は気持ちよく弾けましたし、むしろうまくいかなかったとしても気にしないのですが、2次になったとたん、もしもこのステージで良い演奏ができなければ、1次で落とされた誰かが僕よりも優れた演奏をできたかもしれないのにという気持ちになるんです。ファイナルの協奏曲のときも同じ気持ちでした。セミファイナリストで僕より協奏曲を良く弾ける人はたくさんいたはずで、僕はそのチャンスを奪ったんだと。それが大きな責任感とプレッシャーになるんです。それで、眠れなくなっちゃう(笑)。


─やさしいですねぇ......。自分が次に進めたらラッキーだとただ喜ぶ人も多いでしょうに。

いえいえ。こういうコンクールに参加しているピアニストたちは、みんなそれぞれのやっていることがいかに大変かをわかっていると思いますよ。例え優勝者だって、次に通らないことがどれだけ苦い気持ちをもたらすことか、よくわかっているはずです。
僕たちは表面上は競い合っていますが、お互い気持ちのわかる者同士、同じボートに乗っているようなものだと思います。コンクールというのは大変な経験ですから、うまくいかなかった仲間のことはいつも考えていないといけません。


─ところで、1989年ルーマニアで生まれでいらっしゃいますが、革命があった年ですよね。

そうなんです。僕は、チャウシェスク政権崩壊の2ヵ月前に生まれています。


─子供の頃、音楽教育の面に混乱はありませんでした?

それは問題ありませんでした。むしろ幸運な境遇にありましたね。当時、ルーマニアではソ連時代からの遺産として、音楽学校は国から支援を受けていました。両親は、僕の子供時代の音楽教育のために一銭も払っていません。そのうえ、幸い僕はすばらしい先生に巡り合うことができました。
僕は今イギリスに住んでいて、子供たちに音楽を教えていますが、公立のリーズナブルなものでも親御さんは良い値段を払っていると思います。もしも僕の子供時代の環境が今のイギリスのようだったら、果たして音楽教育を受けられただろうかと思いますね。現在ルーマニアは決して豊かな国ではありませんが、音楽教育への支援はなんとか続いてほしいと思っています。


─将来的に、ピアニストとして祖国で教育活動をすることも考えていますか?

実はもうやっているんです。毎年、ルーマニアの自分の出身校で、ワークショップやマスタークラスを行っています。そうして祖国に何かを返すことができたらと思っています。

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文・高坂はる香

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