浜松国際ピアノコンクール/THE HAMAMATSU INTERNATIONAL PIANO COMPETITION


浜コン スピン・オフ

遅れてきた少年

第7回浜松国際ピアノコンクールの出場者は85名でしたが、公式プログラムには98名のコンテスタントが紹介されています。ということは、13名のコンテスタントが何らかの理由で出場を取りやめたということになります。彼らのページを眺めながら浜松にいらっしゃらなかった理由について考えたりもしましたが、そこには13人13通りの理由があったのかもしれません。

その一人、プログラムの60ページ、コンテスタントNo.28に掲載されているのは、ホアン・ナンソンさん(中国:15才)。私は浜コンの後、彼に会ったのです!

彼は、6月に韓国のスウォン(水原)で行なわれた第6回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝し、11月29日倉敷、そして30日沖縄で開かれた優勝者記念演奏会に出演、そしてコンクールを取材した私も演奏会に同行したというわけです。私自身、てっきりナンソンさんは浜松に来ると思っておりましたので、このたびの直前の出場キャンセルはなんとも残念に思っておりました。それで、浜松の取材もした私ですから、ナンソンさんの出場取りやめの真相を聞かなくてはならないと思った次第です。倉敷、沖縄と同行するわけですから話す機会はたっぷりありました。

それでわかったことは、ビザの取得が間に合わずやむなく出場を断念したということです。ナンソンさんはコンクール優勝後、北京で勉強することも考えましたが、外国で何か新しいものを学ぶのもいいという父親の勧めで、カプリンスキー先生を紹介してもらって試験を受けてジュリアード音楽院に行くことに決め、ニューヨークへ渡っていたのです。今気づいたのですが、プログラムの最終学歴にもすでにジュリアード音楽院予科と書かれていました。日本へ行くにはいったん中国へ戻ってビザを申請しなくてはならず、結局それが間に合わなかったということでした。しかし、優勝記念演奏会には間に合って、無事演奏をしたというわけです。ちなみに彼が演奏会で演奏した曲目は、チャイコフスキーの瞑想、シューベルトの幻想曲 ハ長調「さすらい人」、リストのハンガリー狂詩曲 第2番でした。

ニューヨークでは週に一回ジュリアード音楽院のプレカレッジに通うわけですが、平日は普通の高校に午前中通って、午後は「自分で練習」の時間に充てるということです。倉敷、沖縄の演奏会が終わった後、彼は父親といったん北京に戻って母親といとこを連れてニューヨークに戻り、本格的なピアノのレッスンが始まるということです。

ナンソンさんと父親
今回浜コンの優勝者は、ナンソンさんと同じ15才のチョ・ソンジンさん(韓国)でした。同じアジアの15才がもう一人出場していたら、コンクールはさらに盛り上がったかもしれません。写真は沖縄のモノレールに乗る際に撮った、ナンソンさんと父親(右)です。

ナンソンさんの今後のご活躍をお祈りします。

角田珠実