

セルゲイ・ドレンスキーは旧ソ連が生んだ最も重要なピアニストであり名教師の一人である。
7才で、後に国際的エリート校として名を馳せるモスクワ音楽院の前身である中央音楽学校に入学。11才の時、中央音楽学校にて、
その後モスクワ音楽院でグリゴリー・ギンズブルクに師事。ギンズブルクは、当時のロシアピアノ界における屈指の名ピアニストであり名教授であった。
音楽学校の生徒でありながら、すでにコンサートやリサイタルで活躍を始めたドレンスキーは、旧ソ連邦内のいたるところで演奏活動を行い、
ワルシャワでの第5回世界青少年音楽祭での金賞受賞を機に、東欧諸国から演奏依頼が舞い込むようになる。その後1957年のリオ・デ・ジャネイロピアノコンクールで2位を獲得したことが、
西欧諸国への進出の足がかりとなり、演奏旅行の範囲はデンマーク、ノルウェー、イタリア、ブラジル、ベネズエラ、パナマ、日本、ポーランド、中国、オーストラリア、オーストリア、
ドイツその他の国々にまで広がった。リオのコンクール受賞の年に彼はモスクワ音楽学院の教師となり、1978年、教授の職に就く。以後演奏家としても、放送界やレコード界で活躍を始める。
1978年から1997年までモスクワ音楽院のピアノ科部長を務める。彼は世界各国のマスタークラスの教授として献身的に後進の指導にあたり、こうした数々の経験が、
今日最も成功した教育者の一人として彼が世界に認められる所以である。名教授としてこれまでに多くの優れたピアニストを世に輩出しおり、
スタニスラフ・ブーニン(ショパン国際ピアノコンクール1位)、パーヴェル・ネルセシアン(ダブリン国際ピアノコンクール1位)、
アンドレイ・ピサレフ(国際モーツァルトコンクール1位)、ニコライ・ルガンスキー及びワディム・ルデンコ(チャイコフスキー国際ピアノコンクール2位)、
デニス・マツーエフ(チャイコフスキー国際ピアノコンクール1位)、オルガ・ケルン(ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール1位)など、教え子が獲得した賞の数は138にも及ぶ。
教授職や演奏活動以外にも、チャイコフスキー国際コンクール、リーズ国際ピアノコンクール、サンタンデル国際コンクール、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール、
国際ベートーヴェンピアノコンクール、ショパン国際ピアノコンクール等、多くの国際コンクールより審査員として招聘されている。
これまでの功績が認められ、1989年、「旧ソ連邦功労芸術家」(People's Artist of Russia)の称号を、また1997年には「民族友好勲章」(Order of Friendship)を受賞。
さらに2008年には「祖国功労章」(Merits before the Fatherland)も受賞した。現在モスクワ音楽院の主要教授の一人であり、2008年、モスクワ音楽院ピアノ科長に就任。